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錯誤に陥らせる言葉の使い方

2022.2.26…2月初めに農業新聞で、また6日の代表質問の場で、市長による「現庁舎を除却して市役所を保健センター、子ども子育て施設と複合化した上で移転新設すること」、「障がい者福祉施設を民間譲渡すること」「久喜市所有の集会所施設を地元自治会に譲渡すること」の3つについて、見直しの発言があったことはその時に書いた。

 しかし、本当の意味で撤回に近いのは、私は集会所施設の地元自治会への譲渡問題だけだと思っていて、他の2つの問題については、時期が来たら、形を変えてまた動き出すための担保を、巧みな言葉遣いでとっていると思っている。市役所については、現在の庁舎の除却撤回は明言したものの、矮小化や分散化による現在の問題点を述べた上で検討すること、保健センターや子ども子育て施設は集約化についての考えはそのままに、保健センターは当分は現在の施設を使い、また集約化につき民間施設との複合化も検討すること、障がい者福祉施設については、施設の老朽化でいずれ集約化を図っていく内容であることなどである。これは、問題が大きくなって反対の声が強くなってきたことから、一旦は焦点になることを避ける為に見直し、無事に時期が来たら洗礼を受けたとの名目のもとに、また進めていく可能性を残しているのに等しい。そう受け止める方が自然な言葉の使い方だと私は感じている。


 この間、約1ヶ月が経つ。「見直しさせたことだけでもあんたの功績なんだからもう良いのではないか」「もう出る理由が無くなったろう」「あれは(計画は)やるんだよ」とわざわざ言いに来られた方々もおられましたが、「久喜市公共施設個別施設計画はやるんですから」と6日の日(議会の場で市長が見直しを述べている日)に言ってくる方もいたのだから、代表質問だけでなく、続く多くの議員の一般質問でのやりとりを聴いても、そう言うことなのだと思う。


 ここで私が本当に怖いのは、市民の方々とお話をしていて、保健センターの集約もなくなったと思っている方々がたくさんおられること、市役所の移転や新築の話はもうなくなったことと思われている方々もたくさんおられることです。焦点となることをぼやかしたり、隠したりすることは、その反動が大きいということをまずは知っていなくてはいけない。反動が大きければ、問題はより大きく複雑になり信頼を失う。行政という公に尽くすものが、こんなことをして良いとは私は決して思わない。計画の中核・核心部分が崩れた以上、また考え方や計画のあり方そのものに「市民感覚との隔たり」が見えた以上、久喜市公共施設個別施設計画は撤回すべきです。そして、その上で各論部分に当たる各施設のあり方については、市民感覚との隔たりを埋める形で、より多くの市民の皆様、議会の意見も反映する形で協議をすべきです。まずは現計画の全面的見直し、撤回が前提にくるべきです。

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