目玉政策を取り消してそれを美化するなんて
2022.2.7…私がこれまで議会で質してきた集会所の地元譲渡を始め、久喜市公共施設個別施設計画の市庁舎移転建設・現庁舎除却、福祉施設の民間譲渡も合わせて、少なくても前提としては、人口減少社会、超高齢・少子化社会を見据えて、市がこれからの公共施設のあり方として纏め上げてきたものと理解してきました。それを前提に問題点を指摘し、論戦してきたつもりでしたが、これをかくも簡単に取り下げたことを見ると、これまでのその論戦は何だったのか、こんなに軽いものだったのかと呆れて開いた口が塞がりません。前代未聞とも言えるでしょうね!これまでこの件でどれだけ地元の中で分断を生じ、争いが起こり、何が起こったのか、それを議会の場でも、議会外でも私は伝えてきたつもりです。でも、数々の理由を並べながら、市は市としての言い分を言われてこられた。この計画の中身が、市民の気持ちに寄り添っていないから分断や争いが起こることを私が伝えても、これまでそれを認めないための言い分を主張されてきたのですよ。それを今さらに分断は望まないと言い、市民の気持ちに寄り添ってという。ではこれまでは何だったのか、12月にはすでに多額のお金を払って業者の調査・検討を始めているのに、それについて何の説明もなく、いきなり取り下げたことを美化すらして、謝罪すらしない。それと同じことが、これまでいろいろなことで続いたことを問題だと申し上げている。無駄にかかってしまったお金について、何ら謝罪も説明責任も果たさない。これっておかしくないですか?これでいいのでしょうか?私にはそれが受け入れないし、片棒を担ぐ気もありません。
もうずっと前の話ですが、理科大跡地の利用方法で市長の公約である市民食堂やサテライト施設は無理だと委員会で述べた。これに対して、凄い圧力がかかり、ある方々から罵倒も受けた。でも私は主張をし続けて、結果私の言い分が正しかったことはコンサルの調査によって証明された。何百万もの調査料など払わなくてもこんなことは誰が考えても当たり前だったのに。でもその失敗に対する説明責任も果たさないままにいきなり新庁舎の建設の話が持ち上がった。責任を他の大きな話題で覆い被せるが如く、そのやり方に対してもおかしさを十分過ぎるほど感じていたが、今回もまるで謝罪なし。当たり前のように、何もなかったように当然視して問題意識すら持たない。これで本当に良いのですか?それで市民に対する寄り添った行政と言えるのでしょうか?少なくても私にはその感覚はないと申し上げております。こんなことが普通になっていることに私は今、大きな疑問を抱いています。小さな人間関係云々じゃない、久喜市がどうあり、どうあるべきか、我々議員はそこに全身全霊、全てをかけてぶつかっていくことこそが使命であり、全てだと思っています。それが出来ないくらいなら、私は今後、議員を名乗る資格はないとも思っています。いくら議会改革などやっても、それがないなら言葉倒れで、本来市が間違っていると思えば、二元代表制の一躍を担う議会・議員は全てを捨ててでもその本分を貫くべきです。それが私の政治家としてのあり方であり、考え方でもあります。おかしいと笑われてもいい。また悪口や罵倒、嫌がらせがあるなら、そうすればいい。でも私はこの問題を美化された形のままで終わらせません。市民の皆様がこれ以上、政治から目を背けてほしくありません。
これで論点がなくなったろ、とある方から笑みを交えながら言われましたがそうではない。これまで続いてきたこうしたことを健全に質し、正すことこそ論点なんですよ!
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