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人を思いっきり活かす街、久喜市へ〜②

  • spea8699
  • 2022年2月22日
  • 読了時間: 4分

更新日:2022年2月23日

2022.2.22…前日のブログでは生涯学習の街、久喜市の再生・発展について書いた。今回は、問題となっている久喜市公共施設個別施設計画を取り上げながら、自分の考えを述べたい。


 久喜市公共施設個別施設計画、これについては将来を見据えて老朽化した施設をどうすべきかを考えることは大切なことであるし、主旨や意義について、賛同する意見は多い。説明を受ければほとんどの人はそう思うであろうし、ここが「総論賛成」といわれる所以である。では個々の施設についてみた場合、実際にその動きが始まっていくと、大きな反対の声が高まるのは何故か?そこを行政はわかっていない。これこそが「各論反対」といわれるものである。


 それは、それぞれの施設には利用者がいて、近隣住民がいて、多くの市民がいるからである。つまり建物が中心にあるのでは無く、人が中心なのであって、その施設が利用者や住民・市民にとっては、日ごろの生活に密着していたり、憩いや喜びの場になっている。地域コミュニティの中心を成している。こうした、その施設が存在する上でもっとも中心であるべき方々のことを考えずに、行政の論理を優先して計画を作成し実行したことにこそ大きな間違いがある。この計画が出てきた時点で、私はそれを何度も指摘した。しかし、計画を進めたことで多くの混乱を引き起こしてきた。


 例えば、5つの久喜市所有の集会施設を地元に譲渡する問題である。これは、地元自治会に集会所を譲渡して、維持管理をお願いするというものだが、自治会という組織や存在を本当に理解しているなら、こんな無謀で無茶な計画は出せるはずがない。案の定、地元自治会では混乱が起こり、考え方の違いから争いまで起こって、大混乱を引き起こした。住民自治を理解していなければならない行政側が、行政の論理でそれを壊そうとした事実は決して消えることはないと私は思っている。


 また現市役所庁舎を除却して新庁舎を移転新設しようとした問題である。平成27年に耐震化してまだまだ何十年も使える建物を(この時11億6千万程かかっている)除却しようとした理由を、議会で質したが回答はなかった。新庁舎建設については、合併推進債が使える期限内に造ることが理由なのだろうが、合併推進債も借金であるし、久喜市が自己負担する額もあまりに大きい。合わせて100億円といわれる事業をこんな時代に行おうとすれば、反発がとてつも無く大きいことくらい普通に考えれば分かる。それでいて子どもの事業の経費を削ったり、団体の補助金を削っているのだから余計に市民の反発は大きいし、財政健全化の名目の元、財政健全化とはとても言えないことも分かる。


 こうして計画の中心的な部分で失敗が続き、行政が目玉に据えた柱を取り消しという形にした以上、個別施設計画全体を見直しすべきである。住民・市民をみていないという根本的なことが変わっていない以上、この計画自体のあり方から見直さなければ、同じ問題、それ以上の問題を引き起こしていくだろうからである。


 今回の取り消しに当たって「住民の気持ちに寄り添って」という言葉を執行側は何度も使った。でも、住民の気持ちに寄り添っていないからこうした問題が起こったのに、何も分かっていない。計画を進め、結論を決めてから住民に意見を求めても、結論が決まっている以上、寄り添っていなかったことは今回の騒動でわかっているはずなのにである。それなのに寄り添ってという言葉を使う。ここが変わらない以上、また混乱が起きると考えている。


 行政がまず中心に据えるべきは市民・住民である。ここを絶対に忘れてはいけない。だから人を知り、人を思う気持ちが、行政を形成する人間の根底になければいけないと思っている。公共とは何か、住民自治とは何か、そこに関わるものは常にそこを考えるべきである。それがあってひとつひとつの事業が成り立つのではないか。何事も基本に据えるべきものがあって、その理念が基になってはじめて、本当に住民の気持ちに寄り添ってと言えるのではないだろうか?それがあってこそ、人が輝くまちづくりに繋がるものだと私は思う。

 
 
 

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