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こんなことも改めたい!!言葉と実態が違うこと、おかしいでしょ

  • spea8699
  • 2022年3月24日
  • 読了時間: 3分

2022.3.24…これまで「教育の街 久喜市」、「子育てするなら久喜市」と謳っていながら、劣悪な教育環境の中で子どもたちの学びが行われていることを取り上げてきた。これも言葉が先行して実態が伴わない例。

 そして今回は道路。例えば、昨年の末に近い頃だったか?ある通りの激しい道路に接しているお宅から「最近、車が通るたびに振動が大きくなって困っている。音が響くようになってるんだ」というご相談を受けた。地域の議員としてはそれを担当課に伝えたが、結局対応して頂けずそれっきり。もちろん私は途中に確認にも行っている。責任ある立場の人にもこのことを伝えている。そしたら「生活道路の補修まで予算が回らない」とハッキリ言われた。1月のことである。同じように必要性の高いものに対応をお願いしても同様に「予算が」「予算が」。そこで2月議会で、大きな公共事業がぶち上がっていることを例に、「その予算は大丈夫で、他のすでに計画されている道路の延長や生活道路の補修などに影響が出ないのか」と質した。そうしたら答弁は、「計画道路は予定通り行います」「生活道路も大丈夫」と。だってもっと責任ある方に「生活道路の補修にまで予算が回らない」と言われていますよと伝えてもです。

 だったらそのお金はどこにあるのでしょうか?事前に財政に聞いても答えられない。答えが返ってこない。それでいて議会の場になると大丈夫という。これまで大きな道路の新設が全て計画通りいきましたか?何十年かかってもまだ完成を見ない道路もあるし、すでに計画が遅れている道路を大丈夫と言っている。生活道路についても、では先に例に挙げた道路はなんなのでしょうか?

 議員とすれば「予算がない」とされれば予算の執行権がありませんから「出来るだけ早く対応して欲しい」とお願いするしかない。そんな状況にあって議会で「大丈夫」かのような答弁をされては、信用も、信頼もその答弁にできないのは当たり前です。ここにも言葉と実態の乖離があります。そして実態が乖離しても誰もまた責任を取らない。やっぱりおかしいです。


 私はこれまで責任を持って議会活動を行なってきました。議会で取り上げるということは、ひとつひとつに住民お一人お一人の気持ちや願いがこもっている。だからいい加減にはできないし、キチンと改善に向けて動かすことが大事だと思って行動しているのです。それなのにこんな矛盾のあることが起こっている。私は言葉だけで実態が伴わないことを良しとはしません。それは市民、住民の皆さまにとって幸せに結びつかないから。市民、住民の皆さまはきっとこの姿勢をちゃんと見抜くと思っているから。その時、期待が裏切られたと思い、失われた信頼も心も戻ってこないから。だから責任ある立場の人間が発した言葉は、責任とその重みがなくてはならない。当たり前のことなんです。なぜそれがわからない。なぜそこをいい加減に済ますのか、私にはわかりません。とにかくこんなことも改めたい。議員として耐えきれない。議長経験者である程度経験も持っていますから、議会軽視とも受け取れるこの期間は本当に厳しく、辛かった。これも大きな決断をした理由になっています。

 
 
 

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